続・けものフレンズ2とケムリクサ

現在ケムリ11話、けもの10話まで終わった所ですが、ケムリの種明かしもあり、評価が固まってきて明暗がはっきりしたので書いて行きます。

最初に結論を書いておくと、今回の騒動、結果的にですが、逆境に追い込まれた1期監督が実力ではねのけたというか、それが際立つ構図となり、終わってみれば(まだですが)1人勝ちになっていました。けものフレンズ2(笑)。

けもの2はケムリに被せに行っておきながら、自身のIPの良かった面を悉く潰して見事に散っていく様が哀れすぎました。特に中盤以降。序盤はまだ掴みだったからか、1期の劣化コピー(遊びの提案も茶番過ぎて某バンドもののきらきら星を思い出す辛さでしたが、持ち直すなら許容の範囲内)に留まっていましたが、回が進むごとに脚本とCGが何かとかみ合っていないというか、何一つ一貫したテーマ性が見えてこないし、シナリオ自体の問題もあろうと思いますが色々な意味で雑なつくりになってるなと。
一方のケムリは、着実に後半に向けて盛り上げて行き、11話でそれまでの何気ない言動やオブジェクトなどの積み重ねの複線を回収する様は、ある種のカタルシスを生んでいました。
また、2期を受けて改めて1期を見直す動きや考察が深まったり、2期のダメな点を論証する動きが出てくるのもまた、けもの1期の特殊性(アニメ自体の丁寧なつくりとそれに共感した人によってSNSでムーブメントにまでなった)を表していたのかもしれません。

けもの2の感想
自分の個人的な感想としては、けものを普通のアニメとして作ったらこうなるんだろうな、と。よく言われるコスプレ感やゲス施設としての見え方というのも、素材が持っている要素なわけですし。文字で書くと改めてヤバイ美少女動物園というものを地でやっているのがこのIPな訳で、そこには本来尊さのようなものは薄かったんじゃないかなと。パークの設定自体がそもそも危うい土壌の上に成立していた(ともすれば差別的と突っ込みを受けかねない)IPだけに、1期で子供向けに流しても違和感がない作品に仕上げるのは相当な気も使っただろうし、結局は1期監督のバランス感覚と構成力がないと成立しなかったんだなと。たつき監督が廃墟好きかは置いておくとしても、舞台装置として危うさを持つパークを、アプリ終了=パーク崩壊後=人間がおらず動物が自由に生きている、としたのは、やさしい世界には必然だったのかもしれません。
また2期で出てくるギスギスといわれる要素も、普通のアニメであれば言い合いや対立、意見の相違やすれ違いなど、程度の差こそあれ子供向けを問わず出てくる要素だと思います(2期の場合人間と動物の上下関係を強調した人間ファーストな視点や、サイコパスな言動と言った問題点もありますが)。ですが、型にはまったように作ると必然的にこのアニメに求められるものから外れていくのは何かのトラップかと思えてもきます。そこで持ち直そうと1期の上っ面の要素を入れたり、てこ入れをしても、脚本の都合で動くキャラが強調されてさらに破綻していく、というある意味試金石のようなIPなんだなと。

キャラクター、世界観について
けもの2のキャラはbotとか、魂を持たないキャラクターと言われています。実際、特にサーバルに顕著ですが事あるごとにノルマのようにすごーいを連発し、まともに思考した会話になっておらず、いるだけ(戦闘要員)状態になっています。1期はIQが溶けるとか言われていましたが、それは1期の世界観に引き込まれ没入してればこそであって、2期のようにこういうIQの低い会話が良いんでしょ的にbotの茶番を見せつけられると没入どころか真顔になってしまいます。
見た目的にも主人公は人、猫、猫で色味も造形もカラカルとサーバルが被りすぎじゃないかなと。お話としてはキュルルとカラカルの2人の夫婦漫才がメインで、サーバルはbot化もありどちらかというとマスコット的な扱いになっています。カラカルは立ち位置的にツンデレヒロインなんだろうなとは思いますが、正直キャラとして魅力的には見えません(でも声と初期EDの絵は良かったです。中盤以降のEDはまるで四半世紀前のシェーディングの1枚絵で、笑いを誘ってるとしか思えません)。その他のキャラも動物要素をとってつけたようなキャラが多く、どのようなキャラクターなのかが全く見えなかったりします。前作で登場したその他のキャラももれなく改変されているので、好きなキャラがいる場合には登場しないように祈るしかないという状況。ついでに、前回も少し触れましたが頭身が上がった弊害として、半端に人体のリアリティが上がったことで美少女ものとして見る側に余計な想像と粗捜しをさせやすい結果になったかなと。さらに、動きも急にぬるっと動いたり、緩急がなかったり、おかしな動きをしていたりと雑で、1期では歩き方を始め、動物の細かい仕草やキャラクターの特徴が現れる動きが世界観にもつながっていたという利点も捨ててしまっています。

世界観も、モノレールで名所巡りかと思えば乗り捨てて以降登場しないし、遊園地まるまる水没するほどってどれだけ水位が上がったんだろうかと突っ込みたくもなるし、そもそも1期と同じ地方なのか、違うならどのような場所なのか、諸々の思考放棄したような設定が残り2話でどれだけ説明されるのかも気になるところです。元々1期が低予算で大掛かりな舞台装置や物量に拠った展開が出来ない分、限られた会話やオブジェクト、行動一つ一つに意味を持たせて世界観やキャラクター性を丁寧に作り上げた結果多くの共感を生んだコンテンツなので、言い換えるとキャラクターや諸々の整合性をぞんざいに扱って上っ面の要素だけを使うと途端に情報量が少ないチープなアニメになるという。
1期アニメでは(野生)動物の習性や動きをフィーチャーして、けものが人間化したという点と、人間も動物という点を分けずに同等のものとして横に置く(人間のフレンズ)ことで対照化したのが光ります。見る人に色々想像させつつもあくまで動物(コスプレ美少女ではなく)達による弱肉強食の野性でも主従の関係でもない「友達」や「やさしい世界」として受け止められていたのは間違いなく1期監督の手腕によるものでした。というか、それが改めて浮き彫りになったという点では2期の意義はあったんだろうなと。

本当、たつき監督は箱庭的な世界観とそれを生かしたストーリーを綺麗に作る人だなぁと思わずにはいられません。畳めるものだけで構成された世界観を広げてミウラ折のように綺麗に畳むというか。物語を作る上では当たり前なのかもしれませんが、最近は大作、定番タイトルでも構成や脚本が酷くてこき下ろされるのをよく見る中で、最後まで上り調子を崩さずに物語を展開して綺麗に畳めるのは稀有な存在に思えてしまいます。同時に、けもの1期でも言われていましたが、ゲーム的な進行の仕方だなとも。
監督のやりたいことや見せたいものをいくつもの組織を介さずにストレートに出せる環境は、負担が大きく大変な反面、それが作品にも表れて面白いものができるのだと思います。ケムリクサが元々自主制作からスタートしているからというのもあるのだと思いますが、見ていて昔の深夜アニメのノリを思い出しました。売れる(受ける)かどうかじゃなく、やりたいことをやる、という類の。本来物語というのはそうしたものだとは思うのですが、色々な人の思惑やお金が絡むと得てして最大公約数的な着地を求められて、結果的にちぐはぐしたり角のない当たり障りのないものになるんだろうなと。けもの2も関わる人や組織が増えたことで、それぞれの思惑やら忖度やら能力の限界やらが重なって、増えたであろう予算がクオリティに反映されない作品になったのだろうなと。
まあ、個人的にはケムリのわかばの初期の言動やキャラ付けは改めて見直しても少し違和感があります。あと作品自体の雰囲気はやはりけものに軍配が上がるかなと。好みの問題ですが。

 

まとめ
今回の騒動、結果的にですが、逆境に追い込まれた1期監督が実力ではねのけたというか、それが際立つ構図となり、終わってみれば1人勝ちになっていました。けもの2期を見ている人は嫌でも1期を想起するので、1期監督作品で作りに共通性のあるケムリを一緒に見ている人も多いでしょうし、11話で作品の本質が決定的になったことでかつてのけもののムーブメントがケムリを後押しする状況が生まれています(おそらくけもの1期なしでケムリが放映されていたら知る人ぞ知る作品になっていたのかなと思います。あるいはけものも全くノーマークだったことを考えると・・・?)。とはいえこれは結果論なので、けもの側としては全く逆を想定していたと思います(それはそれで悪意に満ちていますが)。
けもの2を自分が評価をするなら凡作の少し下辺り、10話時点で5段階評価の2~2.5ぐらいです。諸々経緯があるし、続編タイトルとして見ると下の下だし各話にもおかしな点は山ほどあるし史上最低という声も分からなくもないですが、目一杯冷静に見るとこれよりも破綻しているアニメは色々あるし、一つのタイトルとして見るとこんな所かなと。
この2の状況の後で3としてセガがゲームを出しますが、2期を引き継げば炎上案件、ネット民を味方につけて1期に寄せれば挽回のチャンスでもあるので、ゲーム作りやプロデュースの面での判断力が問われる所です。個人的に最近のセガを見ていると期待は出来ないのですが、敗戦処理の雰囲気が出てる今は同情的な見方をしてもらえるかもしれません。噂では格ゲーという話もありますが・・・。

それにしても、けもの2期で不遇なキャラをピックアップしたり、ダメな部分の考察などが盛り上がっている様子は、アニメ版けものフレンズの特性と同時に、今の時代をよく表している気がします。波が立ったところに乗っかるムーブメントは本来作品とは関係のない場外ではあるものの、イメージの補完や憎悪や愛着の共通認識が発生していて、これは今回のもう一つの結論というか核心とも言えるのですが、ネット上で人の意識の流れが1方向に向いたときに起こる(見えるようになる)事柄には良くも悪くも色々考えさせられます。制作側と受け手の認識のズレが大きいのがリアルタイムで分かってしまったり、言質がネット上に残ることも。この件で何気に久しぶりにニコニコを見た気がします。
あと、制作側の意図はどうか分かりませんが、犬は酷い扱いを受けたからだけでなく、2期のキャラクターの中でも魅力的に見えます。ロードランナーは作中の描かれ方ではいま一つですが、切り抜かれてそれだけを再利用しているのを見ていると不思議と声も含めて良いキャラをしているように見えてくるのが面白いところです。因みに、着ているTシャツの色と文字の元ネタは昔のカートゥーンらしいですが、そういや2期になって服が動物の見た目に準拠てないのが増えてるような・・・。

 

余談
最後に、両者が完結後にもう一度記事にするかもしれませんが、アニメの話題という事で一応書いておくと今期のアニメで個人的に一番ハートフルだったのは同居猫です。因みに一番微妙だと思ったのはエガオです(バーチャルは1話目でもうこれだと思ったし今でも思っていますが、2話から見る気をなくしてしまったので評価不能)。自分はクソアニメ愛好家でもあるので、けもの2は途中からそちら方面でも目が離せませんでした。エガオの方が構成の散らかり具合とぶん投げ具合がわずかに上でしたが、けもの2も話題性と期待値から1番と言えなくもないしまだ2話残っているのでワンチャン含めれば、実質2強かなと。
それにしても、ここ10年くらいのロボアニメの微妙さは何なんでしょうか(勿論ちらほら良作もありますが)。エガオも素材だけならもう少し面白くなりそうなんですけどね。2大勢力のぶつかり合いでは美少女銀英伝的なのが理想形なのでしょうが、1クールでやる内容と見せ方じゃないなと。あ、でも主題はエネルギー問題というか核反対?いまいち作中で新型クラルスがどういうものか見えにくい上に、方や局地戦部隊で方や国のトップ周辺という、勢力同士の戦いの割に役割が偏った切り抜き方(しかも両者がほぼ絡まないし、エネルギーに対する国や立場の違いによる思想の違いも分からない)というのもエネルギーを巡る戦争で何を見せたいのかが不明瞭だったなと。これなら要素を絞って戦争じゃなく基盤を共通の国とした上で、体制側とレジスタンスのエネルギーを巡る物語にでもしていたほうがスッキリしそうです。それに、侵略戦争をしかけた帝国が制圧目前の状況で、急にエネルギーが停止しても敵の兵器か?としか思わないだろうし、状況的に王国は滅んでもおかしくありません。にもかかわらず、帝国が急に紳士的になって(領土も元通り?)停戦に応じるなんて、核がなくなって世界平和!世界がクリーンに!気候も環境も改善!みんな笑顔!ってなんだか・・・。この(頭お花畑の)「女の子のお話」は、最後まであのEDを流したのを含めて好事家の間でエガオの花を咲かせたと思います。
改めて、主役っぽく登場したキャラを2話で退場させたのは本当に意味不明で笑いを誘います。戦争のリアリティ(もクソもありませんでしたが)よりも熱さを優先して、どんでん返しでも入れていればまだ凡作になりえただろうに。作品の雰囲気やロボの扱いがどことなくアルジェヴォルンを彷彿とするのですが、今にして思えばあれも2クールかなりの苦痛ながら、まだお話としては成立してたのかなと思います。というか酷いロボアニメだけで打線を組めるどころかサッカーのスタメンも余裕で行けそうな気がします。